2011年12月20日

時代を読む98




一、まず、自己決定権は重要だと思います。
私は生まれたころは高度経済成長の中で、あれよあれよと日本が豊かになっていきました。
昭和42年の「もはや戦後ではない」という経済企画庁の言葉が象徴しています。
もし、自己決定権があるとすれば、そうブルートレインに乗って父に市ヶ谷に会いに行っていた頃、三島由紀夫氏が割腹自殺を遂げた時期だったでしょう。
戦後民主主義とは、そう、敗戦国家の海軍の子弟をいじめる偽善だと思います。
この事は、平和、平等と言いつつも部落差別をする戦後民主主義で象徴しており。
今はもはや部落差別をしたと冤罪事件を引き起こし、家柄の良い人間は部落出身者だと言う精神異常者の集団に変わってしまっています。
三島由紀夫氏はこの偽善によって日本国民が精神異常者に陥ることを予言して、割腹自殺を行ったと考えています。
そんな中、幼い私にも自己決定権はやってくるのでした。
この事は、後で知りましたが、戦後民主主義の象徴教育基本法がPTA制度を始め、わが国を洗脳するので軍部の子弟は多くが灘中学、ラサール中学や有名中学に進学して難を逃れていました。
しかし、私は地元中学から、地元県立高校に進学しました。
二、次に、選択が私に科せられて来ました。
大学進学です。
医学部進学を諦めた私は、ある日東京大学へ進学し大蔵省へ入省しようと発想しました、治にいて乱を忘れ得ない精神でした。
そこで、国立か私立か選択があり、私は無理やり私学を選択させられた思い出があります。
「これもお前のためだ我慢しろ。」です。
今、なくなっている中村とうようさんはその典型だったと思います。
国立に行ったら学生運動をするから、・・・・と言うのが理由でした。
「お前が本当に優秀なら地元の私学に行って成功しろ。」これが意見でした、めちゃくちゃです。
日本を築いた池田隼人首相の後輩でありながら経済的活躍を封じられていた中村さんには自らのイメージがダブります。
親が偉いと息子は活躍してはいけない、・・・・・。
三、しかし、今考えれば、その指摘は正しかったと思います。
優秀な中村さんが彼らから狙われないはずがありません、それはこの国の破壊を狙っていた偽ユダヤです。
彼らは、情報を捻じ曲げ自らに向けられた「搾取」からプロレタリアート革命を、発想者のマルクスが理想の国家として、社会主義の目標としていたわが国に向けてきました。
即ち、彼は我が国が搾取をしている、・・・と主張していたのです。
理想の国家が搾取をしているから、理想の国家に対して階級闘争を仕掛ける、・・・と。
日本の優秀なインテリはこのターゲットにされました。
そのターゲットにならない生き方に「自己決定権」があるのです。
「知恵」です、彼らは「挑発」の天才です。
「なんだそんなことも出来ないのか?」と挑発します、挑発に乗ると、・・・・・。
今、感じています、中村とうようさんが発掘したカリプソは今フランスで演奏が盛んですが。
麻酔作用があります、だから暴動に使われるのです、いわゆる宗教的音楽=危険。
これは、実はカリブ海にあったアトランチィス大陸、「ノアの大洪水」で滅んだ、プラトンが記述しているアトランチィスでした。
四、即ち、偽マルクス主義により戦争されたエリートは文明の滅亡の理由を持ち込んでしまったのです。
この事は、常に偽ユダヤは人類を滅亡に追い込む危険性を常に持っていることを意味し、危険で、どの世界からも忌み嫌われることを意味しているのです。
なぜ、京都大学経済学OBが、・・・ここが中村さんが犠牲者である、・・・という意味合いなのです。
この事は、私にも影響しています。
今、当時学生運動を行った人達から「つきまとい」を受けている状態にあります。
即ち守られなかったエリート、そして「知恵」、・・・やはり、「もはや戦後ではない。」という言葉に無条件で踊った功罪を考えさせられます。
戦前の日本は正しかった、日本は戦争を自ら欲したのではなく「挑発」されて行ったのだ。
これが、現在のあの戦争への正しい歴史的評価です。
当時から戦後は、軍部は悪いところはすべて、・・・と言って良いでしょう、語りつくされてきました。
しかし、その戦争は「試練だった」、今評価は逆になっているのです。
日本が戦争をしなければアジアの独立は50年遅れていたでしょう。
この事はプロテスタントを受け入れるのはマニュフェスト=デスチィニー(明白なる運命)で、偽ユダヤを受け入れるのは、ノアの大洪水、人類滅亡、即ち天国と地獄を意味しているのです。
自己決定権、私は勝利したのではないのか?
今、「なりすまし」に悩まされています、つきまとい行為から。
今から、この自己決定権で選択を間違えないように生きて生きたいと思っています。
正直者は救われる、救われる人間は決まっているのです。


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気付きの文化




一、まず、今、アメリカ合衆国の日本の文化への研究が盛んです。
マサチュセッツ州医科大学のスチィーブンレパート氏は「シックスセンス」の研究で有名です。
今、感じるのは今の日本は、いや特にバブル経済以後は気付きの文化ではなくなっていると言う事です。
世界一を維持するためアメリカ医学会は気孔についで「易経」を研究しています。
今、ニューヨークでは易の研究が非常に盛んです。
そして、今スチィ−ブンレパート氏はシックスセンス=第六観の解明に成功したと発表しているのです。
この事は科学が新たな発展段階に入っていることと日本の戦前の文化がいかに優れていたものであるかを示しています。
また、マルクスが理想とした文化は実は明治維新の前の徳川幕府の時代であるとされています。
二、次に、これに対し、現代の日本人は幼稚です。
この事は非常に大人だった日本文化に対して「強さ」を意味していました。
子供のような幼稚な発想を持つ現代人、それはある意味で純粋である、・・・とも言えると思います。
戦前の日本はこのミスター・チルドレン、いわゆる図体は大人で、精神年齢は子供に大いに打ち負かされてきました。
しかし、今、大きな科学の発展のもとに単なる子供は大人への成長を余技なくされ自殺する若者が急増しています。
真実は小説よりも奇成り。
三、しかし、この事は危険極まりないものがあります。
この地球上には黒魔術と言うものがあります。
人類を滅ぼしかねない危険な技術です。
新約聖書でおなじみのパウロの記述にエフェソスへの手紙というくだりで「世界を支配するもの、空中に勢力を有するもの・・・。」という記述があります。
マチュピチュはその一部で、イエスの使いピサロによって滅ぼされました。
アステカはコルテスによって、・・・・。
この事は、身近なものとして例えば行政書士という資格は洞察力の資格であるとされています。
事実に関する証明で行政行為を扱うためです。
また、経済学も、数学とは違った「経験則」によって律せられます。
これらは努力によって得られる能力である、・・・と言えると思います。
四、しかし、反対に「詭弁」を覚えると、私は20年間「土地神話」という戦後民主主義の「偽善」の典型的な新興宗教によって恫喝されてきました。
「土地は下がらないそうです。」
そして、13年間行政書士は登記ができる、行政書士は裁判業務が出来るで悩まされてきました。
頭がどうにかなりそうです。
これらは気付きのない人間、いわゆる気違いと呼ばれる存在なのです。
頭隠して尻隠さず、行政書士と言う資格が環境と素質であるといえるのは、行いが遺伝子が、親が正しい行いを行って来た人間でないとこのように頭がおかしくなることでした。
間違ったら素直に謝る、自分の与えられた使命に対して誠実に行う、このような真摯な態度が重要で、規範的人格態度と呼ばれています。
「言葉文化」に優越する「気付き文化」、これはコミュニケーションに他なりません。
私達は法律行為の司法書士さんの文化と行政行為の行政書士の文化と峻別されています。
しかし、そこには言葉を越えたコミュニケーションが存在しているように感じます。
善人、まともな日本人、こことコミュニケーションを取っていますが、頭のおかしい人間がペースを乱し、リズムが狂うことが多いです。
易経では行いが正しい人間でないと神様はシックスセンスを授けてくださいません。
終戦後は9割いたといわれる行いが正しい人、そこには教育勅語が存在していました。
勿論、修身と言う道徳教育も、しかし、バブル経済以後それは1割に減っているといわれています。
この事は応報因果刑、因果応報と言う言葉で表されます。
非道徳なことをすれば必ず天罰を受けるのです、この事は天罰そのものなのです。
易経は李一族で有名な大唐国の国教でした。
そして、遣唐使からわが国に入り、天皇家からやがて徳川幕府に朱子学として完成した。
今、それをアメリカ医学会が解明しようとしています。
しかし、この国にはきちがいが多いと思います。
占い・偶像崇拝?ここには自らへの思い上がりがあると思います。
きづきが与えられない生きていようが、死んでいようが意味のない存在、パウロは肉だけの存在で、死んでいる、・・・と表現しています、・・・日本人が増えています。
気付きは三つの恩に感謝、いや創造主の後継者イエスによって聖霊によって与えられるのです。
私の場合は聖霊によっても、英霊によっても与えられる。
皆さんきづきを大切にしましょう、獣と霊長類の峻別の証なのですから。
今日も一日、喜んで進んで働きます。


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日本の倫理M



一、まず、今、行政書士会は保護を与えたドロップアウト組みから乗っ取られようとする恐ろしい状況にあります。
私は行政書士資格、大手企業に勤めて幸せの絶頂という時に公務員OBから進められ、3年後受験し1回で合格しました。
公務員OBは適正を見て営業をされているみたいで、これはというところでスカウトされたということです。
しかし、開業はお蔭様でやることが多く、なかなか出来ないでいました。
しかし、平成10年母の死とともに開業の機会がやってきました。
しかし、当時は社会のドロップアウト組みが大量に入ってきて、もともと、学生運動崩れが多かったと話を聞いています。
そして、好き勝手やっていました。
私は危険を顧みず、親切にいろいろ知っていることを教えてあげました。
するとある人が「自己破産」の仕事をやっている手伝わないか?と来られ、事務所に行きました。
しかし、ある弁護士からは「自己破産は行政書士の仕事ではない、やってはいけない。」と言われその事務所とは話しもしなくなりました。
私はその事務所関係ではないかと疑っていますが「エセ同和行為」にあったのもそのときでした。
しかし、何とか難を逃れ、その不幸は幸運へと変わって行きました。
二、次に、被害妄想とは恐ろしいものです。
苦難は幸福の門、苦難を幸福に変えるのが得意な私は彼らのやっかみを感じました。
「なぜ、彼だけ優遇されるのか、人間平等じゃないのか?」彼らの主張は激しさを増しました。
そして、人権団体に垂れ込まれたり、民族差別をしたと言いがかりをつけられたり、激しいデマを流されました。
この事には倫理があります、私が行ったハローワークの行政書士講座に関して、私は幼い頃から「公」=おおやけ、の重要性を知っているせいか、一生懸命に投資するという習性が身についていました。
私が運勢が良いのはそのためなのだろうと思います。
県庁講師、与えられた使命、燃え尽きるまでやりました。
そしてそれが彼らを鬼に、悪魔に変えたのでした。
この事は、わが国の将来を暗示している事実で、これからの日本は道徳観、倫理観を束ねている競争原理が消えます。
そうして、倫理観が備わらない人間と、自ら求めた人間で大きな差となって現れるのです。
厚生労働省は失業者思いのあまりに試験を簡単にして合格者を増やせと圧力を架けてきます。
私の意見は「士」業たるもの、そもそも失業経歴があってはいけないのではないのか?
むしろ隠さなければならない事実ではないのか、・・・・と言うのが私の考えでした。
三、しかし、これ素をただすと、「環境と素質」に行き渡ります。
アメリカ合衆国と戦前のエリート資格が簡単な試験で、6割取ればもらえるのです。
この事は人間の退廃をもたらします。
まず、資格は環境と素質、公務員の子弟か公的な家族が職業についている家でないと成り立ち得ない資格です、公務員のように身分保障はありませんが拘束もないのですから。
彼らに足らなかったもの、それは「感謝の気持ち」だと思います。
今、小学生でもわかる会長選挙=直接選挙、リコールなしで議会で否認できるという新しい解釈を発表し、話題を呼んでいます。
「承認する」→「否決することも出来る?」やってはいけない反対解釈もあるのです。
直接選挙に対しては議会は否決することは出来ないが政治学の常識です。
いわゆるピケッチィング、座り込みに総務省はかんかんになって怒っています。
彼らは、もともと自分の専門外の分野に進出していておとなしく指導を受ける立場の人間であると考えます。
しかし、ここに、戦後民主主義の「偽善」があり、保護が下克上につながっている、いわゆる単に悪人を擁護し、犯罪を助長する結果につながっていないか・・・・という問題です。
彼らは嘘の法律をマスコミで流し顰蹙を買うと、他人のせいにし、その嘘は毎年巧妙さを増していくと思います。
それは、幼い頃でなかった我儘主義、これがバブル経済と言う虚像の中で、煩悩に火をつけ、彼らを廃人に変えてしまったみたいです、いわゆる末人です。
四、私は恐ろしい経験をしました。
行政書士を開業した当時、何で指導する側の先輩に教えなければならないかと思いつつも。
「お前の言っていることが納得が行かない。」と攻め寄られた据えに、無実の罪で刑事告発、そして今でも脅迫が続いています。
「お前がやった事にしろ、差別をした事にしろ。」「お前は同和だ。」「あいつは頭がおかしい。」をとことん言って回られました。
彼らの特徴は、私達「環境と素質」が見た場合、ほんの基本がわかっていないのに、役職者になって、嘘をFM放送で、、その他インタ−ネットで広める。
赤信号みんなで渡れば恐くない方式、心の通った人間とは思えない悪事を繰り返すことにあると感じます。
即ち、除去されなかった煩悩を感じています。
今、実はマンモス大学出身者は小学生レベルの社会が出来ない、・・・・。
義務教育どころか、小学生の直接選挙とリコールがわからない人間をお金さえあれば大卒に変えてしまう偽善社会がおかしいという問題提起を引き起こしてしまいました。
行政と司法の違いがわからない人間が行政の専門家の指導者になったらどんなに恐ろしいか、民主政治の危険性を提示したと考えます。
テロリストのような彼ら、学生運動で頭がおかしくなった連中の、・・・・。
今、日本に何が起きているのでしょうか?


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時代を読む97




一、まず、今、中村とうようさんがなくなったという悲報が入ってきました。
この方は優秀であるが故の犠牲者でした。
日本の本土決戦に巻き込まれた犠牲者であったと感じます79歳、自殺だったという話でした。
大学は日本の高度経済成長の基盤を作った池田隼人首相の出身大学京都大学経済学部。
我々はミュージックマガジンでお世話になっていました。
昭和55年ごろの活躍が意識的なのですが、京都大学経済学部出身者がミュージックをやる、これは非常に特異な社会でした。
通常だったら経済学者に。
この事は学生運動が一段落し、目的を失った優等生の歩む末路であったと思います。
この点、私は優等生でなくって助かったなという意識を持っています。
限りなくタブーに挑戦し続けるとうよう氏、善人は若死にする、まじめすぎた死であると感じます。
池田隼人首相が光なら、この方は影的存在です。
今、改めて、戦後は終わったという気がしています。
二、次に、今、筒美京平さん事、渡辺京平さんについて考えています。
聖歌隊、青山学院大学経済学部出身者、そう池田隼人氏の所得倍増計画が一段落して、「もはや戦後ではない」という昭和42年の言葉と同時に社会デヴューした、光です。
この方の人生にも、この高度経済成長時代がうかがえます。
従兄弟が、幼い頃グループサウンズ時代で、従兄弟とイメージがダブります。
「ブルーライトヨコハマ」は歌詞なしの、イージーリスニングだけであるラジオ放送番組の主題曲に長くなっていました。
国民的ヒットから、その後はそう、こういう感じの人だったと思います、「こら、こんつめて勉強やったら性格がゆがむぞ。」「こんな女の子はどうだ、つきあってみろ。」というかそういう感じて、あの手この手で、レコードを売ろうと、・・・・・必死。
昭和42年聖歌隊がこの国にともった、・・・・。
そして、レコード売り上げは同じ作曲家の平尾正明氏を抜いて一位、・・・・。
池大雅の名人芸を感じます、・・・、挫折はあったでしょうが、一貫して自分の道でやってこれた個性には敬服します。
三、しかし、中村とうよう氏はある、行き方を提示してくださった人だと思います。
大学を卒業し、銀行に就職して、ああ、充実した人生だったと思えない、「自分の好きなことをやれ」という提示だったと思います。
当時は大学受験を考えていて、なぜか筒美京平さんと同じプロテスタントの大学に進学してしまいました。
確かに中村とうよう氏のように一流大学に進学すると行き詰るという指摘は当たっていたと思います。
御両者の指摘は当たっていたと思います。
もはや戦後ではない、済んだことを悲しんでいても始らない、これからは戦争でなくなった方々の為にも楽しく生きるんだ、・・・・。
四、しかし、今、我々が政治の中心に戻らなければならない時代がやって来ていると感じています。
「もはや戦後ではない」この経済企画庁の言った言葉は終わろうとしています。
日本は「もはや経済大国ではないのです。」治にいて乱を忘れぬ心。
今からの日本は、いや世界は風雲急を告ぐの時代に差し掛かると思います。
今、マルクスは実は「道徳の国日本を理想としていた。」プロレタリアート革命の目的は徳川幕府の日本に戻ることだった、・・・こういわれています。
仲間同士戦争させる偽ユダヤ、アメリカのフランクリン=ルーズベルトはわが国とアメリカ合衆国プロテスタントを戦争させることに成功しました。
そして、コミンテルンは大日本帝国陸軍と弟子の中国国民党を戦争させました。
いずれも「挑発」でした。
この仲間同士を殺しあいさせる手法は日本のエリートを襲いました。
「洗脳」です、これは日本の頭脳、田島先生や、多くの優等生が犠牲になっています。
優秀であるがゆえに偽ユダヤから狙われたエリート、中村とうよう氏はその典型であったように思えてなりません。
われわれ、兵学校の子弟が言いたかったのは、学生運動をしてる優等生に「あなた方は騙されている。」ということでした、・・・・。
偽ユダヤ=悪魔の挑発はこれからも続くでしょう、今からは悪魔との戦いを提示しなければならないと感じました。
これには、ちょっとやそっとで動揺しない、池大雅の名人芸が重要であると考えています。
中村とうようさん、いろいろ生き方の提示をありがとう、あなたは限りないタブーに挑戦し続けた冒険家だったと思います。
無神論者の、・・・・冥福をお祈りします。


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「気」は心の働き




一、まず、理気ニ元論で言う「気」とは何か?
難しい意義です。
「天才とは99%の努力と1%の着想である。」とは物事を逆に発想していると感じます。
気とは我々の社会に還元して行いうる当たり前の気です。
やる気、気がめいる、しかし、今重要なことが聖書にあげてあります、パウロの「エフソス人への手紙」2章です。
気は実は非常に重要な人間の要素であるのです、パウロは「この世を支配しているもの、空中で栄えているもの。」とこの地上の理=いつわりは悪魔が支配していることを示唆しています。
ヨハネは竜と述べています、肉で生きている、しかし、精神で生きなければならない。
これが「気」なのです。
今、アメリカの研究にバイオプラズマと言うものがあり、まさにこの気につながっていきます。
二、次に「こころ」という場合、実態がありません。
これは物理的に「こころ」という臓器があるわけではありません。
しかし、心は確かに存在し、気を放っています。
この事は21世紀物理学が解明できなかった科学事象なのです。
しかし、ここに21世紀が隠されていると思います。
今、マチュピチが有名です、1500年代にピサロによって滅ぼされたインカ帝国、その宗教的儀式の場所でした。
南方熊楠翁の会話の話しに似ています、ここは標高の高い場所、テレパシーで神と会話していたのです、きっと、・・・。
三、しかし、20Cは神の否定の無神論の世紀でした。
宗教はアヘンだが信仰は重要、・・・即ち宗教的儀式は形式的なものですが、信仰はこころの発する「気」なのです、しかし、これを20Cは否定し危機の世紀と呼ばれていました。
それは20Cを見ずしてドイツの精神病院で死んだ大天才ニーチェの発狂によって始っています。
「神は死んだ。」
しかし、私が認識する限り、神は存在されます、このように幽玄無体なものを「気」と読んでいるのです。
宗教否定の無神論、それは1980年代の人類滅亡時計3分前まで人類を導きました。
自ら生み出した核兵器で、自らを滅ぼす寸前まで行った。
これは人類の持つ猜疑心、煩悩を限りなく広げた世界でした。
私は20C無神論哲学は一種の新興宗教であったと考えています。
宗教的「気」が全く閉鎖される。
悪魔の仕業、この事は確かに人間をそのように信じ込ませるレジプタシーのようなものであったと今考えています。
20Cは社会主義の世紀、所得の平等、しかし同時にそれは偽ユダヤ人の世紀でもあったのです。
このため、わが国の道徳観、倫理観は地に落ちてしまいました。
四、「気」の部分を15C朱熹は大宇宙=大極となずけ、現在の太極拳につながっています。
この部分は気孔ですが、日本人は今、蘇るべきです。
戦前の日本は精神論の文化で、アジア・アメリカ合衆国から尊敬を、そしてヨーロッパ列強からは脅威と捉えられていました。
人間平等、果たして当時の日本人は平等だったでしょうか?
人間が平等であろうと言う努力目標は認めますが、人間は平等ではないから憲法14条の「法の下の平等」があるのではないのでしょうか?
今、バブル経済以前の日本人の倫理観と、バブル経済以後の日本人の倫理観について考えています。
前と後では同じ日本人でも大きく倫理観は違うと思います。
1998年、ある階級に「カン違い」≒発狂があったように感じています。
そして、それがどんどん広がっていった。
私は99%の努力の部分は20Cに尊重されましたが、1%のひらめき、この「気」に三つの恩を集中させる、ここに御著書に賛成します。
道路交通法法律第90号「欠格事由」ひらめきはほんの一瞬でした。
今、これがわずか一年ちょっとで法律になった事に、あまりにすばやすぎたために社会の理解を得ていません。
1998年に日本は何かが変わった、守護霊が、そして頭のおかしい日本人が巷に満ち溢れた。
しかし、DNAは「気」を発し、ご先祖様に感謝すればひらめきが得られる、技術の上達が。
人間は高山に登らなくってもテレパシーで会話できます。
人は子供の頃超能力を持っているものなのです、しかし、大人になって、・・・・。
バイオプラズマ、これは重要な人間の要素なのです。
聖書にあります、肉、そしてジョンロックの生命・自由・財産から今幸福追求権にそれが変わったように精神に立ち返っているのです。
宇宙から己を律する「気」は極めて重要です。
今、気から三つの恩から「気付き」を論じるのは極めて重要です。
今、自殺者や「うつ病」から精神異常者が増える日本社会、ある事に気づけば、それが止まると思います。
そのことは実は人間は動物ではなく霊長類だと言う事なのです。
即ち三つの恩・・・・・。
今日も一日、喜んで進んで働きます。

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日本の倫理L



一、まず、恩に感謝と毎日言い続けることは明日を切り開くと考えます。
感謝の気持ちは人間の心を素直にさせると思います。
今、日本人はバブル経済で本当におかしくなってしまっています。
人間としての基本を、・・・・非常識なことをすればお金が入ってくる時代、そんな時代が長続きするはずがありません。
法律は破れば、隠せば、他人のせいにすれば、・・・今、日本人は完全に頭がおかしくなっています。
私は警笛が聞こえてきたのは、恩に感謝していないではないか?という声でした。
高校の物理の先生との約束で衛生工学衛生管理者までなった私。
恩に感謝すると様々な不可能なことが可能に変わって行きます。
出生、そして、技術の向上、様々なものがプラス思考に変わって行きます。
今、「ノアの方舟」の確認は私に大きな自信を与えてくれています。
今、時代は日本に焦点が集まってきているのです。
今、私に成りすまして、私の名前をかたり偉そうなことを言っている人間がいます。
彼らは完全に悪魔に魂を抜かれた存在、やがて悲惨な死に様をするでしょう。
人間は善と悪、悪と善の繰り返しなのです。
倫理の実践は「チャンスをつかめるかつかめないか」に掛っていると思います。
私はお思えば、随分チャンスを逃がし、チャンスをものにしてきたと思います。
二、次に、行政書士を開業して、行政書士会はドロップアウト組みの巣と感じました。
ここには危険性が含まれています。
反省されない個性、自分では気づかない自分の欠点。
そして、我儘な性格、・・・自分はとんでもない世界に飛び込んでしまったなと痛感しています。
絶対に人の話を聞かない、そして他人の専門性に簡単に土足で踏み込む性格、わがままで、まじめに努力をしない、・・・・。
その根底は、他人のせいにする、わがまま社会、そして根底から人間性を直そうとしない負け組み根性、これは感謝の気持ちを持たない性格から生まれているものでした。
今、彼らの「付きまとい行為」そして「なりすまし」に悩まされています。
「エセ同和行為」俗悪な事で犯罪に触れにくいことは何でもやる彼ら、・・・・。
私は総務省は私達を救ってくれていると感じていました。
彼らドロップアウト組みの特徴は物事を簡単に考え奥底まで見抜かないことでした。
文句ばっかり、わがままのし放題、そして裏切り、他人を引き摺り下ろす、・・・。
しかし、応報因果刑、必ずその報いは来ると神様はおっしゃっています。
悪人の癖に善人ぶる、良くないことだと思います。
大嘘つきの彼ら、嘘は必ず見抜かれます。
13年間一貫して同じこと事を言っているのに「最近、まともなこと言うようになったな。」という行政書士????
彼らは全く業務を理解せず、適当に大嘘ばっかり言ってやって来たのでした。
彼らが行政と言う環境と素質の世界をバカにするのはなぜでしょうか?
彼らは確実に歴史に名を残したと思いました。
思いました激しい大嘘ツキだと、・・・・。
今、人類は最後の審判を迎えようとしていると感じています。
三、しかし、今、カルビンの予定説「救われるものは決まっている。」という言葉を思い出しました。
Have a narrow escape.(九死に一生を得る)助かる人間は決まっています。
人間社会は平等と言う発想も重要ですが「天国と地獄」という発想も重要です。
幸せの青い鳥、つかむことが人間出来るか?
感謝の気持ちに実践できる習慣。
思えば、この世に生まれてきたのは幸福だったと思います。
そして、いろいろな仕合せだった幼い頃、そして試練の若い時代。
しかし、今考えれば何不自由なく今まで過ごせました。
しかし、今、神の試練が注がれているように感じています。
それまでふたをしていた幸福、これが一気に満ち溢れ、ある日おめでとうと神様から祝福され大きな成功がやってくる希望が満ち溢れています。
救われるものは決まっている、神様は、お釈迦様は千里眼、嘘はすべてお見通し、・・・。
今、1941年太平洋戦争開戦前の話がNHKでやっていました。
「国力が80倍のアメリカ合衆国との戦争に最後まで反対」した海軍省、山本五十六元帥はアメリカびいきでした。
今までの戦後民主主義の大嘘には驚かされます。
すべて軍部のせいで始った戦後民主主義、やがて最後の審判がやってきそうな気がしています。
四、思えば、今までいろいろなことがありました。
徳川幕府が本当に金と銀の貿易をやっていたと信じている間抜けな日本人、・・・・。
ヨーロッパに行ったら驚くでしょう。
易経が占いとカン違いしている間抜け、アメリカ合衆国で笑われるでしょう?
今、感じています、試験が簡単だから、他人の世界に簡単に入り込むきちがい、・・・・。
彼らは精魂込めた仕事を一生行えないだろうな、・・・と感じています。
今神様に感謝しています。
大嘘の戦後民主主義の中にあって私は何とか生きて来れました。
行政とは裁判業務には参りました、・・・・。
他人に厳しく自分に甘い、そして他人揚足を取るのが上手、彼らは絶対にチャンスをつかめない人間だと思います。
陸軍士官学校はいけないが東京大学は、・・・・やはり、狂っていると思いました。
差別意識は強いのにどうして善人ぶるのがすきなのかこの国民は?????
これが偽善の正体なのです。
しかし、その違法行書に日本の将来を感じます、この13年間私は必死で行政法を勉強してきました。
そしてやがて14年目をもうすぐ迎えます。
しかし、まじめに専門家になろうとしない彼らは13年間嘘ばっかりついて生きてきました。
13年間成長しない人間、この激しい環境の変化についていけるでしょうか?
これは今考えています、犯罪を素直に「告発」した人間、そのほうが若いうちに行ったほうが仕合せだったのではないのかと考えています。
罪を犯し、他人のせいにする、さばかれない、罰則がないことの恐ろしさが、今感じています。
天国は正直に生きた人しか入れない「狭き門」なのです。
今からも三つの恩に感謝して喜んで進んで働いていきます。


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時代を読む96




一、まず、今、世界全体に奇病が蔓延していると思います。
今、マイクロソフトが2011年莫大な収益を上げました、この事は確実にインターネット社会は伸びていくことを現わしています。
そして、今、社会が大きく変容していますが、この事は同時に人間性喪失と言う点で危険でもあると感じています。
因果応報、人間正直が一番、このように教えられて育ったものです。
しかし、今猟奇的な事件が特定の民族に集中しています。
例えば、今のノルウェーの銃乱射事件。
日本でも特定の民族に集中しているように感じます。
日本で阪神・淡路大震災が起こった平成七年、同じくオーム真理教事件が起こりました。
そして、平成8年から平成14年まで戦後最高の犯罪認知率を記録しました。
市橋被告の事件はこの後に起こっています。
そして、平成21年・22年は殺人事件が戦後最低水準に落ち着きました。
今、日本に何が起こっているのでしょうか?
私はインターネットは今、中国のサイバー軍団が脅威を与えているように危険な側面も有していると思います。
人類は「便利」の持つ危険性にも注目する必要があると思います。
二、次に今、インターネット上の「成りすまし」に今、痛めつけられています。
個人の意見を重視するこの現代社会においてです。
思えば、開業してからいろいろなめにあってきました。
今、私がまともであったら困る人間が増えているのですきっと。
今、ある行政書士が私が「最近まともなこと言うようになってきたな。」と言っています。
私は開業してから13年間言っている事は全く変わっていません。
この事は、私の言っている意味が最近わかりだした、・・・と言う事を意味するのです。
裏を返せば、彼らは全く意味がわからずに行政書士をやってきていた、・・・という意味でもあるのです。
このようなきちがいがはびこるには歴史的変遷があるように思えます。
開業して、親切にしてきた私、しかし、ある人間は急に怒りだしました。
なんだかんだ言っていちゃもんをつけてきました、そして気が短い、すぐおかしなことをやる。
私は、なぜか部落開放同盟や在日韓国民団や、その他に人権問題で告発されました。
一般の会社では考えられない暴挙です。
そして、私がクレームを言うと「たいしたことない。」と業者に「お金持ち」とか紹介を入れていたみたいでした、福岡財務支局から「行政指導しましょうか?」と言われました。
この考えられない暴力団波の恐ろしい社会、ここには試験が簡単だから、・・・と自分には全く向かない仕事を選ぶこじき根性が隠されていました。
落ちているものは何でも拾う、そして食べる、・・・・・。
彼らは中堅世界に生きる人間が多かったです。
この点、戦前生まれの方々と大きく違うのは「忍耐力が足らない。」=わがままと言う事です。
良くきれやすい人間とか言われたものです。
三、しかし、この性格致命的な場合が大きいと思います。
人の話を聞かない、わがまま、しかし問題なのはそういう人間でも性格は自然と変わって行きます。
問題は全員ぶるところにあると私は考えています。
いわゆる「偽善」です。
「人間として最低やってはいけないこと。」これを踏み外す人間が日本に増えています。
私が経験したのは平成10年行政書士事務所を開業してからでした。
母を失っていた私、その頃は落ち込んでいました。
貸金業者の親を持つ外国人、依頼してきました。
助けてあげないほうが良いと思いましたが、依頼に応じました。
彼も父を交通事故で失い孤独な存在でした。
しかし、恩ある私を突然訴えてきました、そこで頭に来た私は、・・・。
しかし、裁判官と弁護士から止められました、今、法廷に行ったら、彼らの仲間がいてやじられる。
そして起こると「法廷を差別用語で汚した。」と懲戒処分を申し立てられる。
毎年一人弁護士が犠牲になっている、・・・・と言う話しでした。
私は信じられませんでした、「こちらは何も悪いことはしていない。」「そんなこと解っている。」
こういう会話でした。
弁護士にうまく処理してもらいましたが、彼の言い分は「自分には仕事がない。」でした。
そして、行政書士会にもいました、他人が幸福なのが頭に来る、自分はどんなに不幸になっても良い、・・・と言うものでした。
この件は裁判所は甘やかしすぎたと言う事で方針を変えました。
「人間としてこれだけはやってはいけない。」これを踏み外す人間。
人間は本当に平等でしょうか?
四、恩に感謝、それが出来ない連中でした。
1998年依頼突然こういう連中がまとわりついて来る、私は因縁めいたものを感じています。
これは科学では解明できないものなのです。
私はこれはたたりだと思っています。
迷信、迷信といわれていた旧約聖書、「ノアの方舟」は科学的に2010年5月に解明されました。
そして、そこは標高5千メーター以上の山でした。
歴史は我々の想像をはるかに越えているのです。
「お前など神から見れば、・・・・。」と神様がおっしゃっているかのごときです。
思えば、1945年日本は戦争に負けたのです。
そして戦後民主主義は敗戦国家の高官の子弟私をいじめていたのです。
ギリシャ神話の件はひどいしっぺ返しだと思います。
敗戦国家だから高官の子弟をいじめた、これはもし、日本が勝っていたらと想像させるのです。
占領政策としていじめた、じゃあ占領政策が終わったら?
この事は、戦争がわが国が仕掛けたものではなく、ワナにより仕掛けられたものであったと言う事に答えが見つかるような気がしてなりません。
今、日本が復活しているとしたら、海中ではなく陸に戻っていたら、・・・・。
もし、海軍の子弟を外国人がワナにはめ、金品を巻き上げようとしたらどうなっていたでしょうか?
戦前は?今、それが繰り返されようとしているように思えてなりません、・・・。
幼い頃の経験が逆になる、・・・・。
そして、一線を踏み越えた人間、人間としてやってはいけない世界に入り込んだ人間。
それはもはや人間社会には戻らないのです。
彼らになかったもの、それは、・・・・感謝の気持ち始め倫理観・道徳観なのです。


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実践こそ明日を開くW




一、まず、「論語読みの論語知らず」という諺があります。
理屈だけこねて行動しない人の事を言います。
「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なりと」行動すれば真実は小説よりも奇なりと体感すると思います。
倫理は実践、実践こそが明日を開くのであるとこのごろ感じています。
行動すれば必ず、そこに明日が見えてきます。
いま、この年になると自分が行った行動が正しかったか?間違っていたか深く考える事に執心しています。
慎重の行動する、とりあえず行動する、行動した後聞いてくれた聖霊は必ず何かをくださいます。
そして、それが金銭以外の意外に重要なものである事が多かったように感じます。
時代は変わります、そう、常に変わります。
その変化は必ず人間が予想した方向へは変わらないものなのです、そのときに人間どう行動できるかで真価が決まります。
幼い頃悪総坊主、そういう人間に限って大人になって立派な社会人になります。
しかし、逆に、今、変質者のような末人に苦しめられています、いわば狂人です。
二、次に今若い頃の無鉄砲さに感動しています。
当時の日本は学問の意義を失っていたように感じます。
学問よりも柔順さを求められていた?
浪人中、世界史日本で30位、東大理Vレベル、しかし、英語現役の生徒波の落第点、・・・・。
今、考えれば無鉄砲、全く大学入試と言って何をやっていたのか?
しかし、今、考えればこれで良かったのかも知れません、私は最初ッから自分の卒業大学に進学する予定であらせられ、しかし、いろいろな経験をつまされ、勉強させられ進学したのかも知れません。
しかし、多くの友人が柔軟に進路を選んだとは言いがたいと思います。
自分を中心に考えれば自分は失敗したと考えがちですが、多くの人々は、・・・・。
若いときの財産、それはお金ではなく失敗の経験、これこそが尊い犠牲のように感じています。
三、しかし、今「忘恩の賊」の狂気に驚かされています。
彼らは幼い頃行動することなく若い時代をすごした、いわばわがまま世代で、年を取ってから我儘が出ているのだと感じています。
追い込まれた人間、そこには柔軟さを失った人格が見え隠れします。
私はこの事を平成5年当時地価の高騰を期待してマンションを投機で購入した層に見ました。
世の中が今まで道理動くか?それは甘い見通しなのではないのでしょうか?
この点、若い頃運動部、そして大失態を繰り返した人間には柔軟さがあります。
この事は、若いとき実践して苦しんだ人間と、若いときに行動しなかった人間の差であると感じます。
恩に感謝の気持ちはただ心で、念じても、そして口でただ言ってもなかなか理解できないものなのです。
今、行政書士で職域拡大を叫ぶ人間がいて、出来るはずのない行政書士資格を開業し、他人の司法書士さんや弁護士さんの生活をめちゃくちゃにしている人間が追い詰められています。
四、私は、人生において「自己決定権」は重要だと思います。
隠せば特、黙っていれば、倫理を実践しない、・・・これらは一見得に見えて大失態につながります。
ましてや他人の悪を言う、また他人の揚足を取ることは「じゃあ、そんなに言うのならお前やってみろ。」という結果につながります。
この事は、若いときに倫理を実践しない、また文句ばっかりを言う人が大人になって重要な任務を負かされたときに、・・・ということにつながります。
私は、行動はとことんやるべきだと思います。
例えば、法律の勉強、司法試験にもうすぐ合格と言うレベルまではやってみること、・・・。
しかし、その先は自己決定なのです、何を選ぶのか?
他人を犠牲に、不正を隠し、他人のせいにしている人間はその時聖霊がささやきかけてくださらないのです。
私は今の行政書士の仕事、行政に関する手続を円滑な実施に寄与して報酬を得なければなりません。
そんなこと一生かかっても出来るはずがない、・・・と思い職域拡大などもってのほかと考えます。
そして、やめようと思ったときに「汝の十字架を背負え。」と掲示がありました。
今の日本は行政書士の業務を全うできる人間なんていないと思います、へたをすると弁護士さんより責任が重たいのです、行政の方が。
この点、弁護士の方がある意味で楽だったのかも知れません。
開業するとき勇気がいりました「自己決定」です。
受験勉強0時間の国家資格に運命を託す、これは「易」がなければ実践できなかったと感じました。
この事は過去の事を参考に実践しているのであり、経験則になります。
しかし、いま、周囲の誤解と行政書士の発狂に苦しめられています。
職域拡大を私に成りすまして主張している人間、末人です。
彼の正体は知っていますが、思いあがりが激しく、わがままで、見つからないように悪いことをするのが得意な人間、いわば反省のない人間でした、・・・・。
私も彼に教える、協力する気持ちはありません。
人間の気持ち、温かさは実践するところに生まれ、仕合せはその先にあるものなのです。
今日も一日、人の悪を言わず、己の善を語りません。


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「理」と「気」を一にして




一、まず、朱子学は「理気」二元論で成り立っています。
理は様々な定義で述べられています、気も難しいが、朱子学では大宇宙=大極道を意味します。
「心身一如」をよしとするわが国社会。
解りやすく言えば「気」は精神論、そして「理」は大自然の摂理と言うわけです。
「五経正義」の大唐国、そして「四書大全」の大宋国、朱子学は南宋の朱熹によって完成しました。
大宋国、そこは経済的に発展した華中の経済力を中心に文治主義を取る科挙の国家。
その科挙の官僚中心の社会に儒学の研究が進み、やがて朱熹による「資冶通鑑綱目」が生まれました。
「理」は当時欽定館によって宇宙が取り込まれました。
従って、「気」とは宇宙から自らを律すると発想しているのが理気ニ言論なのです。
二、次に、南宋は元によって滅ぼされてしまい、朱子学は中国では発展しませんでした。
次の明の時代には少し復活しましたが。
しかし、日本では朱子学は大いに栄え、湯島聖堂で林家によって説かれる展開になりました。
日本の朱子学の「理」は大義名分なのです。
「中庸」をもってこの大義名分という臣下の礼を勧めていた徳川幕府。
「泰平」という平和を実現しました。
南宋で完成された朱子学は、わが国徳川幕府によって実行されたのです。
三、しかし、伊藤仁斎の古学、貝原益軒先生の反論が御著書に上げられています。
無地しいところです。
この事は、大宇宙というマクロの世界は、地球上のミクロの世界であり、ミクロの世界は実は大宇宙である、・・・と言う事をおっしゃっているのだと思います。
ミクロを追求すると、ナノの世界へ。
その過程には陽子、中性子、電子と別れて行きますが、そこには明らかに「理」があります。
遺伝子も同じだと思います、犯罪者の遺伝子からは犯罪者が生まれない、いや犯罪者が生まれる確立が高いと言う事はいえると思います。
しかし、古学は別として、貝原益軒先生の発想は「気」は「理」を変えられる、と言う事をおっしゃっているのであり「心身一如」につながります。
私は「易経」もやりますが、実はこの「気」を学び「理」に当てはめ行動する、これが易経の真髄で、ここに大宇宙が込められるか、込められないか大きな違いを生じると考えます。
伊藤仁斎氏は、理に基づく気が重要なのだと官僚制度、また徳川幕府の組織の腐敗を攻撃しているのであり、間違いではありません。
そこで、私はこう考えます、人間は元来自由だ、気がもしあるがままの「心」にあるとすれば、確かに気を中心に行動するべきであると考えます。
事実坂本竜馬もそのように行動し、歴史に名を残したのです。
しかし、坂本竜馬も西洋の「理」が日本の当時の「理」とかけ離れ、それを遅れと取ったから行動したのでしょう?
古学と言う、また貝原益軒先生の自然から学ぶ「大和本草」儒学なしに気を重視すれば、「無秩序」に陥ってしまいます。
理をもし、霊長類にふさわしい生き方とすれば、そこに正しい気が生まれてくると定義できると考えます。
しかし、「理」をいたずらに否定すれば野獣の気になり、「末法」につながりかねないと思います。
この批判は官学朱子学に対する批判であり、一般には通用しない「無秩序」に通ながり兼ねないと思います。
要するに「理」が間違っている、・・・と御両者おっしゃっているのであり、私は1648年まで朱子学の当時の湯島聖堂の「理」は正しかった。
しかし、それ以後「鎖国」を推進した湯島聖堂の「理」は間違っていたと考えます。
この事は今に付いてもいえると思います。
憲法九条軍備を持たなければ平和がやってくる、これは幼稚な発想で、軍備を持たなければ外国から「侵略」されるだけです、発想が幼稚です。
実はこの幕末と現在の「心身一如」は当たっていると思います。
この事は「理」が間違っているときに「気」が優越するのだという伊藤仁斎の発想を持って、心身一如と言えるものであると考えます。
四、そこで解決策は、この「理気ニ元論」に対する山鹿素行の元禄期の批判は当たっていないと思います。
伊藤仁斎はこういっているのです、例えば、現代社会国民の幸福追求を考えない「合理性」追及の高層マンション建設は「理」が間違っている、「気」は理に従うべきではない。
建築の理は「合理性」追及ではなく幸福追求と言う気に従うべきだ、・・・・・。
即ち、わが国の理気ニ元論批判は朱子学への批判と言うより、官学湯島聖堂に対する批判であると考えます。
この事は、理は国会が制定した法律、しかし、行政書士が携わる政治を行う気は法律に従わないこともありうる=違憲立法審査権。
間違った法律をコモンローに変えれば「心身一如」に変わるのです。
この事は無神論社会主義の批判に当てはまると思います。
所得の平等を理とした社会主義、気=やる気を失い崩壊していきました(1991年)。
そして、その崩壊にこそ創造が始るのであり、新しい理気合一した理を築かなければなりません。
朱熹の原文は詳しくは知りませんが理気ニ元論とはそもそもそのために理と気を分離したのではないかと創造します。
今、この事はそのままいえると思います。
元禄に至らない徳川幕府建立の頃の理は気と一致していた。
同じく日本国憲法も1945年当時良かったのかもしれない、当時のわが国には、・・・・。
しかし、2011年に到ってはどうでしょうか、この問題は新旧の問題でもあり、易の秩序、不易の秩序にも結びついているのだと思います。
易の秩序を不易の秩序にあわせよ、・・・と言うのが「心身一如」の発想です。
山鹿素行は5代将軍綱吉公の「犬公方」に反対していただけなのかも知れません。
今日も一日喜んで進んで働きます。


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日本の倫理K




一、まず、今、行政書士はやっと司法書士さんや、弁護士さんの仕事を盗むことを止めたみたいです。
この事は、倫理と終戦後の日本の社会を象徴していると思います。
自分がやりたいから、自分の生活が困るから、だからかっぱらう、しかし、自分がかっぱらいだという認識はないのです。
私の発想は義務教育は中学まで、しかし、義務教育は100%出来なければならないが原則です。
そして、それを終えたら人は基本的に自由、芸能人になろうが、運動選手になろうが。
大学に進学して専門の勉強をしようが、・・・。
私は会社を辞めて、いろいろやっている時に、進学塾経営の先輩から講師を勧められました。
卒業して、結構なるのに、結構良い点数で、40点満点中39点でした。
「あらっつ」と思い、講師を引き受けました。
英語の単語がいつも間違える、高校生活、大学生活、あまり基礎学力は伸びていないな、・・と思いました。
二、次に人間性は、やはり、高校のクラブ活動の時に、みっちり鍛われました。
大体「士」業と言う職業はこのときに培われることが多いと思います。
先生稼業です。
日本人はいつの間にか権利義務と言う概念が薄くなっていると感じています。
やることをやって文句を言う、・・・・。
今、自分に甘い人間は中堅高校出身の人間が多いと感じます。
劣等性ではないが、義務教育100%ではない、・・・。
そしてぼんくらって言ってはいけませんね、誰でも入学できる大学に入学し、卒業した人間は、自分を顧みる暇がなく、自分の欠点に気づいていない人間が多いと思います。
実はこういう人間は「士」業には本来向かないのです。
今、不景気で景気の回復を図らなければ、・・・と常に考えています。
しかし、恐ろしくって活動できません。
行政書士には訳もなく偉ぶる人間が多いと思います。
その根底は劣等感、自分を良く見せよう、見せようとするのです。
それがとんでもない結果を生むことは周知の事実です。
他人に因縁をつける、いちゃもんをつける、これは人間の最下層の連中がやることです。
三、しかし、それが肩書き当たり前の人間として君臨していることがこの国の偽善、戦後民主主義です。
我々の常識から見て考えられない世界です。
総務省と言うお役所は「行政」に詳しい人に「報酬を得る」事を認めて行政サービスの向上を図っています。
しかし、彼らは、・・・・。
そもそも根底はなぜ「士」業と言う先生稼業に彼らがなろうと考えたのかです。
絶対に向いていない世界だと思います。
頭にきたから司法書士さんの仕事をかっぱらう、それも司法書士と行政書士の区別が付かない一般国民から、完全な詐欺です。
しかし、あるとき自分を振り返ってみたら良いと思いました。
あなたは義務を全うしているか?
私は税金は払っている、社会保険料も、年金も、・・・・・。
じゃあ義務教育は、・・・・・・。
四、これを制したときに途端に、協調性がないと言葉が返ってきます。
じゃあ、あなたはどこの高校のクラブの何部のレギュラー選手だったの????と聞きたくなります。
私の反論は「あなたはわがままだ。」なのです。
この事は、私が言っていることが正論だと思います。
行政書士は行政が好きな人間がなるべきで、行政の「士」業と言うからには相当の勉強していなければならない、・・・。
しかし、勉強はしたくない、お金は稼ぎたい、威張りたいの3拍子揃っています。
そして、他人のものをかっぱらおうに掛ってきました。
私の技術、そして名声、何でも盗んでいきました。
私に名前を勝手に使ったり、私に成りすまして、・・・・・。
私はうてあわないようにしましたが被害は甚大でした。
しかし、今回の会長選で、彼らは大失態しました。
結果はともあれ直接選挙はリコール、選挙の結果に不服がある場合には、リコールが原則で、総会が否決できるはずはありません。
この事は小学生レベルなのです。
今、他人のものをかっぱらうあまり、大切なものを彼らは失ったような気がしました。
大学、それは小学生レベルの社会がわからなくっても卒業できる大学は多いと言う事です。
社会が陰で笑っていることがわからない、・・・・。
行政書士資格簡単に取れます。
高卒じゃ、おお、しかしあんた小学生レベルないね、・・・・。
他人を批判するあまり足元が見えなかった、・・・・。
今、基本、義務教育をしっかりやることの重要性、基本が人生でいかに重要かを示してくれたのだと感じています。
攻撃は最大の防御、しかし、相手を攻撃しているときは自分の欠点が見えてないものなのです。


            以上
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